憤りぃ!
2001年3月10日あれからほとんど寝ていません。あれからがいつからなのかもちょっと分からないほど疲れています。
疲れたときの症状として身体が怠かったり、目が疲れたりするのは普通ですが、それに加えて吐気がする、何も食べていないのに胸焼けがする、頭痛がする、眩暈がする、手が震える、顔色に死相が出る等々の状態になっているので、つまりとっても疲れているのです。
まぁ、わたしが疲れていようがそうでなかろうが、ヨの中にはもっと疲れている人もいるだろうし、わたしの疲れ具合を聞いたところで『そんなもん知ったことじゃねぇ!!』ですので、わたしもがんばってこの疲れを忘れて約1時間ほどの休息をとり、何事もなかったようにまたワークに勤しむのです。。。。
。。。全てを忘れた後、ふと気が付いた1つの疑問。それは差別。まずこの国(イギリス)には差別が多く存在していることを御説明したい。
差別にも色々あるけれど今回はナショナリズム的な差別について、平たく言えば外国人差別であります。
お釣りを返すときに手が触れないようにされるなんてことは当たり前で、普通に歩いていていきなり『ファッキン ジャーップ!!』なんて言われることも多々あったりするのです。
しかしながら、別にわたしはそんなことには別段憤りを感じるコトは少ないです。力説ですけれどコチラ側からも差別をすれば、『ああ、おバカさんたちがほざいていらっしゃる』となってなんだかおおらかな気持ちで許せてしまうからなんですが、この方法がどうにも使えない時が問題なのです。
わたしの学校にも当然のごとく存在する差別。生徒同士でクソ日本人だのバカ韓国人だのイカレ・イタリアンだヤンキーだポマーだ。。。。。きりがないほど存在している。でもこれは個人同士の問題として捉えればさほど問題なくスクールライフを楽しめるのですが、わたしがどうしても憤りを感じずにいられないのは講師たちがもつ偏見や差別なのです。
2時間ある授業で先生が生徒一人一人順番に話をしていくというスタイルの授業で生徒数が10人いるのだったら1人に対して12分ずつのディスカッションを行わなければならないのに、どう考えてもアジア人とのディスカッションは時間が短いような気がしてならない。さらにはアジア人を最後にもってくるパターンが多いという気もする。この事を意識し始めてからなるべく客観的な心持ちでよく観察してみたんだけどどうしてもこの差別の傾向が否めないような気がする。
世の中から差別をなくすことはたぶん不可能だと思う。そしてわたし自身も差別をしているし、だから差別することを否定もしない。嫌いなものは嫌いだし触りたくないものは触りたくないのは気持ちであってそれを否定されても困ることですもの。
でも学校は、わたしがお金を払って生徒として認められているところです。お金を払った以上、わたしには平等に授業を受ける権利があるのだ。もし差別をするのなら、受験した段階で『お前はアジア人だから日本人だから入学の許可を与えられない!』と言って欲しいのです。などとダラダラブツブツ言っていても何も変わることはなく、あしたも差別が存在するのです。
勘違いしないで欲しいのですが、全ての人が差別をしているわけではなく、ホトケのような人もたくさん存在しています。そして時にわたしはそのホトケのような人を差別していることもあるのです。
コメント